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明治時代以降の日本の貿易からの変化

明治時代の雑貨、綿布、紡績品は先進国内では競争ができなくて、中国だとか東南洋諸国の後進国にまず伸びた。そういうおくれた国を足場にして、だんだんいいものをつくって輸出するようになった。重工業品は逆で、日本の品物はまずアメリカなリヨーロッパの先進国に輸出した。これは先進国ならば品物を鑑識する力があるからで、プランドではないのです。後進国は鑑識眼がないから、日本が安く売ろうとすると、安かろう悪かろうで、なかなか買ってくれない。

いちばん先に日本品を認めたのは先進国なのです。それでもはじめはずいぶん努力を要します。欧米の業者が長い間固めた市場へ、日本品の輸出を新たに開拓するのには非常な努力がいった。大体三八年から三九年までが、そういう開拓の苦しい時代で、なかなか輸出が伸びない時代であったのです。しかし日本品が優秀で安いとひとたび認められると、今度はそれが実物見本になります。日本品が安くていいということになれば、日からロヘ広告される。アメリカが買うほどだと後進国も買い、ほかの国も買う。だからひとたび信用がつくと、実力があればぐっと幾何級数的にふえてくる。

大体四〇年ごろからそのような状態になってきたというようにみるべきであり、またそうであるのです。これがわかれば、ある時期にきて輸出が急にふえるということは当然なことになるわけです。そう考えないと、こんなに急にふえたのはおかしい、これは日本の力ではなしに、外国の景気がいいからだ、という見方になるのです。しかもそのようにふえだすと、あとからあとから新しい輸出品がふえるものなのです。

成長期、輸出を伸ばした秘密を解析する

そういう伸び方の輸出にどうしてなったのか。戦前の日本には、重化学工業は発達していなくて、これらによる輸出はほとんどなかった。

三〇年代、重化学工業の設備がだんだんとできてからでも、輸出は国内の金融引締めで不況になり、設備があまってきたときに、損してでもダンピング的に外国に売った、そういう形で最初は重化学工業の輸出が始まったのです。

それが今日では引き合うような輸出となり、またそういう意味で平時から輸出販路を開拓しようという方向に変わったのです。これは明治時代から日本の工業品輸出の発展の常型でありました。はじめは工業が内需中心に起こってきますが、ある段階までくると、国内の需要だけではもう伸びる余地が少なくなってあまってくる。

そうすると輸出に全力をあげるということであります。三〇年代のころまでのように、国内が不景気だから輸出するのではなしに、現在はいつも輸出する、そろばんのLれる輸出をやろう、そういう段階に三〇年代の終りごろにははいったのであります。しかしいままで世界は日本の重化学工業品を知らない。後進国製品は粗悪だというイメージが強い。たとえば時計などは、日本製がはるかにいいのに、スイスの時計を使いたがるように、日本人ですら、日本品より外国品のほうがすぐれているという見方が多い有様です。

いわんや外国の人は、日本のような今までの後進国から機械を買うまでには、なかなか信用してくれない。はじめは安く売ろうとすると、安かろう悪かろうと考えられて、努力してもなかなか輸出が伸びない。どんどん見本輸出をやり、いろいろなことをやってもなかなか伸びない。おもしろいことに、日本の機械なり鉄鋼なり重工業品が、いちばん先に伸びたのはアメリカ、コーロッパなどの進んだ国なのです。

30年代に見られる国際収支赤字から黒字化への秘密

gum11_ph02020-sなぜ国際収支が赤字の国から黒字の国に転じたか。
それは単に外国の好景気ではなしに、根本のわが国の重化学工業が壮年期に達したことにより、赤字から黒字の国に変わったとみるべきです。歴史的に外国の例がみんなそれを証明しています。これは輸入と輸出の両面から考えられます。まず、重化学工業が発達すれば、いままで輸入していたものを自給することになる。わが国の設備投資は三〇年代には機械その他を輸入していたが、現在はこれを自給しており、それだけ輸入をふやさなくってよい。化学工業、石油化学工業の発達の結果、従来の綿花、羊毛、ゴムやその他の輸入をぐんと減らしております。従前は輸入品にたよっていた自動車、クーラーその他の耐久消費財などもどんどん白給しております。

このように、輸入を減らしております。第二には、技術の発達で、原料の消費量が減ってきます。たとえば製鉄業の技術の発達で、原料の鉱石、石炭などの使用率がぐんぐん下がり、輸入量を減らしている。そういうものがぐんぐん発達してきているのです。

第二は、製品が高度化して、加工度の高いものをぐんぐん生産している。その結果、 一定の生産額に対する輸入必要量が減っているのです。たとえば、鉄をつくり、素材のままで輸出するときは、それに必要な鉱石や石炭の比率は相当に高い。しかし機械とか自動車とかの形で、鉄をどんどん使って輸出すれば、自動車生産費の大部分は国内の労力費などで、 一定生産額に対する輸入原料費はわずかとなる。

機械でもそうです。非常に精巧な機械であれば、原料としての鉄は製品の金額に比べるとわずかですむことになる。生産量に対して輸入がいくらいるという、いわゆる輸入の弾性値は三〇年代に比しぐんぐん下がってきているのです。景気がよくなる、生産がふえる、いわゆる国民総生産がぐんぐんふえれば、輸入は当然ぐんとふえてくるはずだという三〇年代のものさしに比べて、輸入必要量はぐんと少なくなっているわけです。

これが政府やその他の、いままでの国際収支の見通しが非常に間違ってきた第一の大きな理由であります。その他、輸入原料の運賃が減った。石油、原油の輸送船は大型化され、鉄、石炭なども専用船で運ばれるようになった。船舶協会の調査によれば、一九六〇年から六六年(昭和三五―四一)までの間に鉄鉱石の運賃は四二%少なくなっている。わずかこれだけの間に、これほど原料が安くはいる。日本の船で運ぶ分は別ですが、海外に払う金は少なくなります。むろん輸入のふえるものもずいぶんあります。石油、木材、食料などは足りなくてぐんとふえておりますが、以上の形で減らしているほうがはるかに大きい。

だから生産がふえ、また国内消費がふえる割合には輸入はふえていない。これが国際収支をこれほどによくした一方の理由であります。もう一つの理由は輸出の増加ですが、問題はなぜ輸出がここ四、五年の間に急にふえてきたかということです。最近、日本の輸出は世界の貿易が一〇伸びるとほぼ倍の二〇ほど伸びています。

日本の地位向上に見られる態度・振る舞いの変質

gum11_ph05061-s日本人には悪い癖があります。日本の力が強くなって、他国に大きな影響力を及ぼすようになったという点を抜きにして、外国から影響をうける方面ばっかりを考えている。それは今まで日本が弱かったからですが、現在においてはそういうものさしを変えねばならない。

先ほど申しましたいちばん大きな問題の国際収支の黒字基調への転換についてお話しします。三〇年代の日本の国際経常収支は、日本がかなりの不景気のときに初めて黒字になるが、普通の景気のとき、いわんや景気がよければ赤字をつづけて、外国からの借款で補っていた。

こういう国際収支の状態から、現在では経常収支で一年一〇億ドルから二〇億ドルの黒字が正常になった。あるいは一時赤字になる場合があるかもしれないが、これは変態で一時的である。ちょうど三〇年代に経常収支の黒字が一時あっても、それは一時的変態であったのと逆になっている。

現在は一〇億ドルから二〇億ドル台の黒字ですが、もうすこし進めば二〇億ドルから三〇億ドル台の経常収支の黒字が正常になろうという経済に変わってきた。この点は今後の日本の金融政策。財政政策なり、その他いろいろの問題を考える場合に大変重要なことです。

ものさしを今までとはまるきり変えて考えねばならない点なのであります。というのは、景気がよくなれば国際収支が赤字になって金融が締まり、景気がある点以上は長続きしない、ある点以上景気が高くなればまもなく国際収支が赤字になって、景気が転落する。

こういう考え方を変えねばならないことになるのであります。ではどうして赤字から黒字の国に変わったか。外国の景気がよかったから黒字になったので、一時的で長続きしないという見方が多いようです。

政府関係もつい最近までそうでした。政府関係の見方と経済発達の質的変革というものは、慎重でものごとを控えめ、控えめにみるという考え方をします。しかし控えめでみていると、実際の経済には乗りおくれて、せっかくのチャンスを失して、再びそれを取り返すことができないという致命傷をこうむることにもなります。経済界は慎重であるほどいいわけではない。そこに政府側の見方と実際の人びと、経済界の見方との差があるわけであります。

日米の製品クォリティ逆転に見られる金融面での顕著な異変

金融の面においても顕著な変化を起こしています。ご承知のように、世界的に金利が非常に上がり、金融は締まっております。三〇年代でしたら、日本の金利も相当に上がり、金融は相当締まって景気に相当な打撃が及んでまいります。しかし現在の日本は、あとでもふれるように国際収支が非常によろしい。

外貨はすでに三二億ドル、年度末には四〇億ドル近くになるほどで、日本の力は非常に強くなっております。だから、外国の金利が上がっても日本の金利は上げない。高い金利で外国から借りるよりは、日本の金を使えと、いままでドルを借りていたのを円で払う、いわゆる円シフトをして肩がわりをしよう
としている。

つい二、三日前に日本銀行はそういう方針をとって、三日間で約八〇〇〇万ドルの円シフトが行なわれたと伝えられております。また、向こうが高金利になれば、向こうの産業のコストが高くなり、金融も締まって競争力が弱くなるということです。

けれども向こうの金利が上がって、競争力が弱っても、競争力の開きが大きかったときは、日本の輸出をふやすことにならない。ところが日本の経済が発達して、向こうとの差がすれすれになってくれば、欧米が高い金利で苦しめば、向こうの競争力といままですれすれで、必ずしも勝てていなかったものでも、今度は日本が勝てるということになるわけです。

そうなると、向こうの高金利は日本に対してはプラスです。三〇年代のように、日本にとり悪影響があリマイナス作用があるとみるよりは、プラスの面が出てくるとみるべきです。プラント輸出などは大体延べ払いで出している。これは今まで他の条件では日本が勝っていても、金利の差、金融の差で負けておったが、向こうの金利が上がって、金融が締まってくると、今度は日本に注文がくることになります。このように、わが国の経済の力が、堂々たる壮年の段階にまで発達をした結果、海外との関係でもこれだけの差が起こってくるのです。